ヤマト勢力の出城か? 日本最古の豪族居館跡の小迫辻原遺跡 
  卑弥呼の死後頃に栄える さて、この遺跡は畿内説にとっては重要な遺跡なんです。だって、東海、山陰、畿内などのヤマトの土器が持ち込まれているのですから邪馬台国東遷説があり得ないという証明をする遺跡なんです。ですからヤマト勢力の出城だと考古学者は考えるのです。正論でしょう。
 金銀錯嵌珠龍文鉄鏡もヤマトの勢力が持ち込んだ可能性が高いと言えるのかもしれない。『魏志』に登場する九州の卑弥呼をヤマトの鉄鏡を持った日巫女が日田に攻め込むのか?
 徳川も豊臣も九州遠征の時に、日田に軍事総司令部(直轄地)を置いて九州全体に睨みをきなせていた。歴史は繰り返した事、簡単でしょ古代史の謎解きも
 関裕二氏は邪馬台国の謎解きに日田は重要な意味を持つと言っているのです。古代は盆地的な軍事そして水利権を取る事が重要です。
九州が安定している時は、奴国や大宰府、高良山や吉野ヶ里でしょうが、東国(江戸・ヤマト)から九州へ侵入するとき、必ず日田に楔を打ち込むのが鉄則であり、そのことで筑後川下流域は身動きがとれなくなる。
 
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