日田古代の全般
 考古学的に日田の小迫辻原遺跡は卑弥呼の宗女「台与」の時代の遺跡であり、日本最古の豪族居館跡とされ、布留式土器(山陰・畿内・東海・他)が出土する特異な遺跡である。福岡大学教授の小田富士雄氏も「土器の様相からだけでもこの集落の特異性がうかがえる」と報告している。また金銀錯嵌珠龍文鉄鏡という謎に満ちた鉄鏡が日田から出土し、九州国立博物館も1世紀〜3世紀の「卑弥呼の鏡?」かと宣伝し大いにアピールして頂いた。

 
『魏志』倭人伝では、卑弥呼(日向)から台与の時代に反応した小迫辻原遺跡がこれから注目され、何故筑紫を向いた日田が何故「トヨの国」なのか?筑紫から豊へ政権が移行したのは間違いないようだ。それに日田は反応している。

 
神話的に、日向神話と出雲神話はは日田をクロスした神話として封じ込められている。天孫降臨や八岐大蛇は日田をイメージした神話であった可能性が強く、出雲の国造り祖の名前に別名として「日田」と名がつくのも不思議。天照大神、素戔嗚尊がうまれた筑紫の日向は「日田」

 総論。鉄器が九州が圧倒していた卑弥呼の時代、そして畿内へ鉄器が移動していった台与の時代に、小迫辻原遺跡が反応している。そして魏の皇帝しか持ち得なかった「鉄鏡」が出土している事からも、謎の4世紀という言葉があるように、日田が反応した3世紀〜4世紀始めに日田が重要な政治的集団がいた事から日本創世が始まって行ったのであって、『記紀』神話もその謎を日向と出雲というキーワードで封じ込め、伊勢神宮も出雲大社も宇佐神宮も日田の王が封じ込められている。
九州邪馬台国東遷であれ、畿内邪馬台国西遷であれ、日田は邪馬台国と天皇家の秘密を握っている事は確かである。
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