日田と景行天皇の謎解き 『豊後国風土記』では浮羽から日田に景行天皇は凱旋している記述は何を意味するのか?
   12代景行天皇とはいったいどんな人物なんだろうか?
『日本書紀』ではヤマトから九州に遠征し、大分ー宮崎ー鹿児島ー熊本ー福岡(浮羽)と小刻みに記述されているのに、何故か浮羽からは、いきなり日向(宮崎?)へと移動している
 しかしだ、『豊後国風土記』では、景行天皇は浮羽から日田に凱旋し日田の女王「久津媛」と会って会談をしているのだ。日向からヤマトへと帰っている。
 なぜ『日本書紀』は日田を通過したことを記述していないのかが不可解であり、『続日本紀』では日田を日向と記述している例えもある事を紹介しておこう。

 ここで素直に考えれば、浮羽から日田に入り宇佐からヤマトへ帰るというのが筋合いであろうと思われる。これも日田が日向である証明となるだろう。
 景行天皇は影が行くという意味があるという説があるが、景行天皇の本当の意味は、日田が最終目的地だった可能性を暗示しているのではないか。また日田の伝承では、神功皇后が日田に九州各地から人を集め軍略したという。
 景行天皇は、どうも、出雲振根と入根や真根子の様に、影の人でそっくりさんや兄弟という例えがあるのではないだろうか。
 おまけだが、景行天皇が日向(ひゅうが)と名付けているのだが、それ以前は日向ではなかった証拠であり、『日本書紀』の景行天皇以前の天照大神の日向は、北部九州でしかありえない。 
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