日田出土 金銀錯嵌珠龍文鉄鏡は卑弥呼・天照大神の鏡
 
鉄鏡のレプリカ・日田天領資料館蔵
製作に国産最高級車が買えるくらいの金額
で市内の有志により実現できた鏡である。

卑弥呼の時代、太陽信仰としての大きな意味を持っていたが、この鏡は出雲の祟り(日田がきっかけ)の象徴として八岐大蛇や出雲振根・入根などの出雲神話として引き継がれたに違いない。

実際にこの鏡には八匹の龍が描かれる。

『古事記』の出雲神話は、日田を暴く為の記述だったと確信している。

この鏡  出雲の神宝 
こうもりちゅざ・模様の鏡は、卑弥呼の時代の少し前の時代に使われた模様であるから、二世紀・三世紀に作られたといわれている。また鏡には「長宜子孫」(ちょうぎしそん) と書かれており、中国で秦・漢の時代に流行し、女性に対してよく使われた「子孫繁栄」を意味する吉祥句です。前漢、後漢鏡とも言われる可性もありますが、私見ではこうもりちゅうざ文様からみて、卑弥呼の時代の可能性が強いでしょうし九州国立博物館も同様である。
 不可解なこの鏡は、私見であるが、中国、新羅、伽耶から持ち込まれ、倭国の王は鏡の複製にチャレンジしてみたのではないか。下記の『古事記』の意味が本当に鉄鏡であれば、おそらく複数の鉄鏡があると信じている。この鏡が昭和8年三芳小学校に持ち込まれた時に、錆びたような鏡がバケツの中に複数あったという話を聞いている。
 

『古事記』では・・・天照大神の鏡として岩戸開きに使われたとき「天安河の河上の堅い岩を取り、天の金山の鉄を取って、鍛人天津麻羅を 探して、伊斯許理度売命に命じて鏡をつくらせ」という記述は誰もがみても銅鏡じゃないでしょ。 
 また『日本書紀』では初度に鋳造された御鏡(前霊)を日前(ひのくま)國懸両神宮の御神体として、後に鋳造された御鏡は、伊勢の神宮の御神体として奉祀された」と記されている事から、あくまでも推測でしかないが鉄鏡は実際に複数あるのかもしれない。 
 
国学者、飯田武郷と平田篤胤は江戸時代に八咫の鏡は鉄鏡だという説を唱えていた事実は何を意味するのか?。考古学者がふれたくない鏡が九州から発見されたいた。この鏡が奈良から出土していたら、もっと国宝で卑弥呼・天照大神の鏡だと脚光を浴びていたに違いないのだ。不運としか言いようがない鉄鏡だが、卑弥呼が九州にいたなんて考古学者が言えば考古学も権威が失墜してしまう。だから、いつまでも闇の中。この鏡は奈良で出土していた方が良かったのかもしれない 
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