日田の豪族 大蔵氏

鬼の家系である事は知られていない。辞書にも鬼の家系と書かれて紹介されてる。
大蔵氏の家系の名に鬼が十数代にわたりついており、大和朝廷からみて、鬼という神の存在であったのだろうか?

鬼は祟る神でもあり、古代からの祟りをもたらす家系であり、逆にヤマト朝廷も厚く見守ってきたのかもしれない。




出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より


豊後大蔵(ぶんごおおくら)氏とは、豊後国慈眼山周辺を拠点に大分県日田市を支配していた地方の土豪である。

平安時代後期、11世紀終わりから1432年永享4年)まで、400年弱の間、鬼蔵(大蔵)永弘の代の承和2年(835年)から16代の永包の代の嘉吉4年(1444年)までの590年余りの間の日田地方を支配した。


豊後大蔵氏の本姓は東漢姓大蔵氏流庶家とされ、古代に九州の日田地方を支配していたといわれる日下部氏に代わって日田郡司になったとされる(後述を参照)。

その後、日田での地位を確立していった大蔵氏は、中央の貴族に従属して、勢力を確固なものとしていった。また、大蔵氏は、大原八幡宮や永興寺(ようこうじ)、岳林寺(がくりんじ)を造営し華やかな文化を形成していったが文安元年(1444年)、身内の家督争いによって滅亡し大友氏より養子を迎えて大友系で日田氏を再興したが、その大友日田氏も、享禄3年(1530年)に滅亡した。

[編集] 大蔵氏の出自と始祖鬼蔵永弘

豊後の大蔵氏は上記の庶流とされるも、現存する資料も少ないために出自は定かではない。そのため、系譜上もはっきりとした事は不明で、承和年間に任期が満了したにもかかわらずに、日田に土着した豊後国司・中井王の子孫説の他に、日向高千穂神社の主祭神・三毛入野命(ミケイリノミコト)末裔説[1]や、大蔵氏の祖とする東漢姓の阿智使主(あちのおみ)の子孫の説等々がある。

郷土資料『豊西記』では仁寿3年(853年) - 延喜10年(910年)まで鬼蔵(大蔵)永弘が日田郡司を勤め日田大蔵氏の始祖となったとしているが、2百数十歳生きた等の逸話を残しているため伝説上の人物であるともいわれている。それから、約150年間の空白の時代を経て大蔵永季が登場することになっている。

[編集] 初代大蔵永季

豊後大蔵氏の人物として伝説の域を出て歴史に登場するのは大蔵永季(おおくらながすえ、1056年 - 1104年?)という人物からである。

大蔵永季は本名を日田鬼大夫大蔵朝臣永季と言い、「日田どん」とも呼ばれる相撲の名手であり、京の相撲の節会に出場した記録が残り、昔話には出雲小冠者との取り組みの伝説等がある。後、相撲の節会に10余回上洛し勝ち星を挙げるものの長治元年(1104年)京からの帰りの道中、風邪をひき大肥庄(現日田市大肥町・大鶴町あたり)にて没したといわれる。

永季を祀る日田神社は相撲の神様として角界の崇敬を受けている。

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